アイキャッチは研究データの可視化ではなく、脳と身体モデルの関係を描いた挿絵です。
ショウジョウバエの成虫の脳全体における神経回路(コネクトーム)が高精度に再構成され、その配線データをもとに計算モデルでハエの脳を動かす研究成果が相次いで発表されました。
画面上で脚や触角を動かす仮想ハエのデモ映像を見ると、「生き物の脳をそのままコンピューター上に再現できたのか」「AIに学習は不要になるのか」といった疑問が湧いてきます。
実測されたハエの脳の配線をコンピューターに入れると何が分かるのでしょうか。そして、仮想ハエが動くデモではどこまでが配線で、どこからが学習や人の設計なのでしょうか。確認されている事実から、その仕組みを説明します。
配線図から活動の模型を作る
研究の土台となったのは、国際共同研究プロジェクトFlyWireによるショウジョウバエ成虫(雌)の全脳配線図です(Neuronal wiring diagram of an adult brain)。
電子顕微鏡画像から再構成されたこのデータには、139,255個のニューロンと約5,450万個の化学シナプスが含まれています。ただし、これは頭部にある脳の配線であり、全身の神経系を網羅したものではありません。
配線図は「どの細胞がどこに繋がっているか」を示す構造の地図です。これをコンピューター上で動かすには、細胞同士がどう電気信号を伝え合うかという活動のルール(生理学的な模型)を重ね合わせる必要があります。
Shiuらの研究チームは、この配線データをもとに127,400個のニューロンを組み込んだ計算モデルを構築しました(A Drosophila computational brain model reveals sensorimotor processing / PMC閲覧代替)。
このモデルでは、測定された接続数や推定された神経伝達物質の種類に加え、共通の簡略化した細胞応答ルールが使われています。行動結果を「正解」としてモデルの結合(重み)を機械学習で調整するアプローチはとられていません。
ただし、「学習なし」という言葉には前提があります。研究チームはシステム全体が適切に応答するよう、全体の結合強度倍率(Wsyn=0.275mV)を特定の運動ニューロン(MN9)の生理応答に合わせて手動で調整しています。行動による試行錯誤の学習を行わせていないという意味であり、パラメータの調整や仮定が存在しないわけではありません。
照合実験で確かめられた範囲
構築された計算モデル上で特定ニューロンの刺激や不活化(細胞の動きを止める操作)を行うと、実際の生体実験結果をどこまで予測できるのでしょうか。
Shiuらは、摂食の開始や触角の毛づくろいといった行動に関する回路について、実験で照合した164予測とモデルの応答を比べました。その結果、一致率は91%(150/164)でした。この集計値は著者らによる補足データの分類を合算したものであり、生データの独立した統計再解析ではありません。
この割合の内訳をみると、著者らの分類に基づく補足データ(Supplementary Excel の表10)では、刺激実験群(Fig. 2関連)の101/106(95.3%)が高い一致率を占めています。
負の結果(応答なし等)を多く含むこの刺激実験群を除くと、一致率は49/58(約84.5%)となります。これは別のモデルの精度や追試結果ではなく、同じモデルにおける集計対象の範囲による違いです。また、この数値はハエのすべての行動の再現率を意味するものではなく、検証対象となった特定の回路応答における一致率を示しています。
このモデルの役割は、細胞の刺激や不活化の操作が回路全体へ与える影響を計算上でシミュレーションし、神経回路の働きを調べることにあります。
仮想ハエのデモが動く役割分担
Eon社が公開している「3D空間で仮想ハエが動くデモ」は、脳の配線だけで全身が動いているわけではありません。企業による技術説明(Embodied Brain Emulation Update)によると、全体は3つの役割に分かれています。
| 構成要素 | 担う役割 | 実装・調整の方法 |
|---|---|---|
| 脳モデル | 外部刺激を受け取り、高次の運動コマンドを出力する | Shiuらの配線に基づく計算モデル(約12.7万ニューロン) |
| 身体制御器 | 脚の運動など低レベルの身体動作を駆動する | NeuroMechFly環境を用い、あらかじめ**模倣学習(機械学習)**で構築 |
| 接続部 | 脳の少数の出力を身体制御のどの動作へ渡すか繋ぐ | 研究者が手動で選択してマッピング |
デモ動画ではハエが環境内で滑らかに動きますが、現行の説明では視覚入力は行動に大きく寄与していません。また、脳内部の活動パターンが生体と一致しているかという生物学的検証も未実施です。
脳モデル、学習済みの身体制御器、手動設計の接続部を組み合わせた統合デモであり、脳の配線だけで筋肉や関節まで直接制御して自律移動しているわけではありません。
構造を制約として与える発想
Shiuらの「学習なし」モデルとは別に、配線構造を制約(枠組み)として使い、学習を行う研究も存在します。
Lappalainenらの研究チームは、ハエの視覚系の配線制約を組み込んだモデル(45,669ニューロン)を作成し、映像の動き推定タスクを行わせました(Connectome-constrained networks predict neural activity across the fly visual system / PMC閲覧代替)。
このモデルでは、細胞型や空間的な構造共有の仮定を取り入れることで、モデル内の自由パラメータを734個に抑えています。この734という数値は、内部の視覚回路における「65個の静止電位+65個の時定数+604個の倍率」を指しています。なお、実際の計算ではモデルの出力を読み出す別のデコーダー(decoder)も同時に学習させており、システム全体の学習値が734個だけで完結しているという意味ではありません。
この研究は、あらかじめ測定された神経配線の構造を制約として与えた上で、足りないパラメータを学習によって調整・補完できることを具体的に示しています。
実測したハエの脳の配線をコンピューターに入れることで、特定の神経を刺激・遮断した際の伝達経路をシミュレーションできるようになりました。また、仮想ハエのデモのように「配線モデル」「学習済みの身体制御」「人の手による接続」を組み合わせることで、どの部分が構造に依存し、どこに学習や設計が必要なのかを切り分けて理解することができます。
参考
- FlyWire 全脳コネクトーム論文(Nature, 2024)
- Shiuら 全脳計算モデル論文(Nature, 2024)(閲覧代替: PMC11446845 / 著者分類データ: Supplementary Excel)
- Eon 仮想ハエ(Embodied Brain Emulation)技術解説
- Lappalainenら コネクトーム制約視覚モデル論文(Nature, 2024)(閲覧代替: PMC11525180)
この記事は Gemini Flash が執筆しました。
